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東京地方裁判所 平成7年(モ)5415号 決定

申立人(被告)

株式会社中村養鶏孵化場

右代表者代表取締役

中村和男

右訴訟代理人弁護士

後藤真一

相手方(原告)

陳日東

右訴訟代理人弁護士

大貫憲介

主文

本件訴訟を岐阜地方裁判所に移送する。

理由

一  申立ての趣旨

民訴法三〇条又は三一条に基づき、主文同旨の決定を求める。

二  一件記録から認められる事実及び当事者双方の意見

1  事案

原告が被告の農場でその従業員として就労中に、ベルトコンベヤーのギヤボックスで原告の右手が負傷したことを原因とする損害賠償請求

2  本件事故の内容(争いがない)

(1)  事故地 岐阜県関市

(2)  事故の態様 原告が被告の従業員としてベルトコンベヤーの端に備えつけてある椅子に座って流れてくる卵を拾って箱詰めする作業をしていたところ、右就労中にベルトコンベヤーのギヤボックスに右手が入って傷害を受け、結局、右手第二指を切断した。

3  当事者の住所

当事者欄記載のとおり

4  予想される争点及び証拠調べ(移送申立等による)

(1)  争点 事故の態様、ギヤボックスの形態を含む被告の安全管理の方法、原告の損害額(後遺障害に基づくものを含む。)

(2)  証拠調べ 被告従業員、原告本人尋問、ギヤボックスの検証

5  当事者の意見

(1)  申立人

(一) 原被告間の雇用契約に関する義務履行地は被告の関農場であり、同契約から派生する損害賠償債務の義務履行地も被告の関農場である。仮に、個々の債権ごとに義務履行地を定めるとしても、訴状記載の原告の住所は、原告代理人の住所であって、原告の住所又は居所ではない。このため、原告の住所及び居所ともに知れず、原告の従前の住所地である関農場敷地内の寮が義務履行地となり、いずれにしても、義務履行地が当裁判所にあるとは認められず、当裁判所に本件の裁判管轄がない。

(二) 仮に、当裁判所にも裁判管轄があるとしても、右のとおり予想される証拠調べの殆どは岐阜県で行うのが訴訟経済に叶う。また、原告は、本件事故発生当時被告の寮に居住していたのに、原告の都合で住所、ひいては義務履行地を変更したものであり、その変更による負担は原告が負うべきである。

(2)  相手方

(一) 原告は、東京都杉並区高円寺北三丁目(原告の不法滞在の告発につながるので、それ以上の特定は、行わない。)に居住しており、義務履行地は当裁判所にある。

(二) ギヤボックスについては写真の提出で十分であり、検証を要しない。証拠調べも原告、被告代表者各本人尋問で足りるところ、原告は日々の生活にも事欠く状態であり、岐阜で裁判をすることとなれば事実上原告の訴訟遂行が不可能となる。

三  判断

1  当裁判所の裁判管轄の有無

本件訴訟は、労災事故について、原告の雇用主である被告の安全配慮義務違反による債務不履行責任を追求する訴訟である。被告は、このような債務不履行に基づく損害賠償債務の義務履行地は、その基となる雇用契約自体の義務履行地にあると主張するところ、雇用契約上の義務の履行地は、通常は就労義務、賃金支払義務ともに就労場所と同一であることから、統一的な裁判籍を目指すとの観点からすれば、右主張は、肯首し得ないことはない。しかし、民訴法五条にいう「義務履行地」は、特段の意思表示のないときは、民法四八四条に基づき決せられるべきところ、同法は契約関係に基づく債務であっても、個々の債務毎にその義務履行地を定めるものとしていて、双務契約において対価的給付の義務履行地を統一的に解すべきものでもないのである(大審院昭和二年一二月二七日判決参照)。そして、本件のような債務不履行に基づく損害賠償債務については、本来の債務の履行地において履行すべきであるとの特段の意思表示があると推認することも困難であることから、結局、同条に基づき、当該債務の債権者の現時の住所がその義務履行地であるというほかはない。そうすると、本件請求にかかる債権の義務履行地は、原告の現時の住所、これがないときはその居所ということとなる(民法二三条本文)。

ところで、訴状に原告の住所として記載されている場所は原告代理人の事務所であったことから、当裁判所は、原告に対し、原告の現在の住所、若しこれがないときは居所を明らかにするように釈明したところ、原告は、その居住する場所の丁目まで示したが、それ以降の住戸番号を明らかにしない。そうすると、債務者である被告としては、原告方まで債務を持参することができないことは明らかであり、結局、義務履行地の特定には不十分であり、これを特定したことにはならないといわなければならない。この点、原告は、裁判管轄を定めるための義務履行地としては、居住場所の丁目までの特定で足りると主張するが、民訴法五条で義務履行地を特別管轄として定めたのは、その場所で債務の履行がされることから当事者双方の便利を考えてのことであり、この趣旨に鑑みれば、その管轄区域内に特定された義務履行地が存在する場合においてのみ裁判所に当該事件の管轄があるものというべきである。してみれば、本件の場合、義務履行地が特定されていないことから、当裁判所が民訴法五条に基づいて本件につき管轄を有するとはいえないこととなる。

そうすると、民訴法三〇条に基づき、被告の普通裁判籍である岐阜地方裁判所に移送すべきこととなる。

2  裁量移送について

仮に、義務履行地の特定は手形の支払地と同様原告が示した程度で足り、当裁判所が本件につき民訴法五条に基づく管轄を有するとしても、本件は、被告の安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求訴訟であって、ギヤボックスの状況を含む被告の安全管理の方法についての証拠調べが不可欠というべきであり、このためには、ギヤボックスの状況、被告代表者又は被告従業員の取り調べが予想されるところである。そして、これらの証拠調べを当裁判所で行うと被告に著しい損害が生じ、また、本件訴訟が遅滞するおそれがあるというべきである。この点、原告は、日々の生活にも事欠く状態であり、岐阜で裁判をすることとなれば事実上原告の訴訟遂行が不可能となると主張し、移送により原告に著しい損害が生じると主張する。しかし、原告の陳述書によれば、原告は、本件事故当時には岐阜県に居住していたところ、東京には労災事故を引き受ける弁護士がいるとの情報を得て東京に居所を移動したのであり、民法四八五条ただし書きが、債権者の都合で義務履行地が移動した場合は、その増加額は債権者が負担すべきものとしている趣旨に鑑み、むしろ被告側の損害を避けるため、民訴法三一条に基づき移送をすべきである。

(裁判官南敏文)

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